2011年3月31日木曜日

大地震によって明らかにされた日本再構築への道筋

平成23年3月25日

大地震によって明らかにされた日本再構築への道筋

(何故、再構築が必要か)

想定内だった大地震と原発事故

 

三陸から東北を襲った未曽有の大地震、併発した福島原発の事故、被災された方々に衷心からお見舞いを申しあげると同時に、多くの犠牲者の方々に心からの哀悼の意を捧げます。

大地震発生直後から「千年に一度とか、想定外の大地震」と関係者から異口同音に発せられるコメント、本当に想定外だったのだろうか。19世紀の末、未だ日本の人口が1億人に満たない頃、三陸沖で起きた大地震によって2万2千人の犠牲者を出したという記録がある。また1933年には死者3千人を超える同じような三陸沖地震が襲っている。地震の予知当局は何回も、凡そ60年おきに繰り返されるこの大災害に警鐘を鳴らしていたが、残念乍ら本気の対策は講じられなかった。専門家によると、今回は地球内部のマントルの激動により太平洋プレートが北米プレートを押し上げ、折り悪しくこれに2回の地殻変動が加わった。リアス式という地形条件が津波被害を甚大にしたと云える。

さらに残念なのは津波によって引き起こされた福島第一原発の事故である。いかに論理的に想定外とはいえ、専門家によると、日本の原発は欧米のウラン・プルトニウムの供給政策により、エネルギー資源の枯渇している日本が標的になり、唯一の被爆国という体験を忘れてしまったのか、お粗末で古い設計基準に基づく原発が反対者の声を封じ込めるように次々と建設されたと云われる。

欧米の科学者からは、日本の原発設計規準は甘くそのシステムが危ういと、何回も指摘されてきたらしい。


日米で雲泥の差のある原発システム

  

私自身も、ロータリーの研修で訪れたカンザス州で、市営の原発内部を、テロ対策のため機関銃をもった重装備のガードマンに囲まれながら視察したことがある。その印象は周囲数十キロは殆ど無人で、冷却のための相模湖大の人工湖が造られ、この人工湖の周囲には鉄条網が張りめぐらされていた。冷却のため排出された湖の水温は高く、中に住む魚は通常サイズの3倍近くもあり、放射能のもたらす脅威を肌に感じ、身震いした。特に原子炉を囲む建屋は福島原発の2倍近くもあり、原発の専門家が指摘するように、率直な印象は東電の造った原発システムはケチでお粗末なのかも知れない。少なくともテロ対策も含め安全に対する日米の認識には雲泥の差があることが分った。     


いいかげんな原発管理

 

この辺の事実情報としては、20年間原発内部で働き、1997年被曝によるガンのため逝去された平井憲夫さんがそのブログの中で、農閑期のお百姓さんや労務者という専門家とは程遠い素人によって維持されている危険なメンテナンスの現状、そしていいかげんな耐震設計構造、垂れ流される放射能の恐ろしさなどに言及している。これを読むと、東電、原子力安全委員会、保安院、その他原発を取りまく関係組織がどうしようもなく悪しき官僚体質に汚染されつくしていると思わざるを得ない。官僚が悪いといってるのではないが。

国民不安をかき立てる関係者の虚妄発言

 

官房長官、東電、保安院、あげくの果てに原子力安全委員会、今日の原発事故を巡って変わる変わるテレビ画面に登場する人々、睡眠不足の性ではないと思うが、まばたきをせずに、にわか勉強のようなコメントを誠実に繰り返す官房長官、眼力の全くない、こんな人が巨大独占企業を率いてきたのかと思うような東電の幹部、そして次々と変わる広報の担当者、薄笑いを浮かべ、かぶりものをつけながら、こんなことを云ってはいけないが、失礼ながら風貌同様、何かを隠していそうな東大卒、ハーバード出の保安院の担当者等、いずれの言葉からも私達の不安をかきたてても、共通した事実情報はかけらもない。すごく可笑しいのはいずれのコメンテーターも原発現地を見ずに何かを告げようとしていることである。若しかしたら先の亡くなられた平井さんのいってらっしゃるように、命を安く見積もられた素人に近い人々が危険にさらされながら、まちまちの情報を提供しているからと思いたくなるようなコメントである。


私達は日本語という国語の中に住んでいる

 

「私達は日本という国ではなく、日本語という国語の中に住んでいる」とは、尊敬する評論家の山本夏彦の名言である。よく外国人から、日本語は覚えにくく分からないと云われる。1つの概念について多様な表現方法がある。あいまいともとれる。発する人によって同じ言葉でも、全く反対の意味をもつ場合もある。「ハイ」といいながら「イイエ」といわれているような場合もある。複雑な交渉事においてその場の空気がものを言い、言葉にならないまま、ものごとが決まることもある。山本七平さんが「空気の研究」という著書の中で、太平洋戦争はまさにこの空気によって開戦決定がなされたと指摘している。60数年を経過した今も日本のこのあいまいな主体は変っていない。テレビに登場する各々のコメンテーターの裏には、何か、共通した得体の知れない淀んだ空気が存在しているように思える。

厚生大臣就任当時は、民衆の味方的存在であった菅首相の言葉も、司令塔としての自覚がない。「私は万全を尽くしますから、国民にも節電等の協力を願いたい」というだけで、日増しにその眼力が衰え、背中に気迫がなく、これでは労組の領袖にもなり得ない体たらくぶりである。海外メディアから「菅起きろ!枝野を寝かせろ!」と云われるのも無理はない。何故こんな人を首相に選んでしまったのか、全国にそんなリーダーが蔓延している。自問自答も虚しいが、この未曽有の緊急事態に何らの決断もなく日本語のあいまいな部分を言い訳だけに悪用してるようにしか思えない。誰かが云っていた、日本の子供達に今一番必要な教育は「きちんとした国語を学ばせる」ことだといっている。つい百年前まで日本の良き精神文化を支えてきた美しい日本語が消えようとしている。このことが官僚・大企業の危いリーダーを次々と生じさせていることと関係している。

同時期に、大ニュースにならなかったみずほ銀行のシステム不全も私の知るところでは同様な因果関係によって生じていると思える。みずほ銀行はもともと日本興業銀行、第一勧業銀行という国策銀行と富士銀行という3つのほぼ同規模の銀行が合併し官僚体質のよりエリート集団で、司令塔がいなく、業績が最も低迷している。子会社のゴルフ場に私も所属しているが、このメンテナンスも、同様である。お上にばかり目が向いている。リーダー不在は、末端にまで悪影響を及ぼす。


沈黙する大企業のサラリーマン社長

 

この非常事態にあたって史上空前の内部留保570兆円を抱えた大企業トップは殆どメディアに登場しないばかりかリーダーとしての発言もない。液状化で正に砂上の楼閣と化しつつある浦安地区、ディズニーランドをはじめ某財閥企業はこの周囲の海岸埋め立てによって莫大な利益を挙げた。この莫大な内部留保は殆ど政商的連繋によってもたらされている。それでも当時の創業社長は、モラルがあった。芸術家を支援し、大学まで創った。政商的連繋とは、オリックスと郵政カンポの宿の、評価額の十分の一以下と云われる不正入札のようなものである。かつての三公社五現業と云われる企業が、民営化された時、それまで国民の税金によって給われていた莫大な国有土地・資産が、先の例と同じような低廉簿価で民間の会社に移された。JR・JT・NTT等が筆頭である。更に官僚体質のこれらの企業は経営を維持するために、この国有資産であった、かつての土地の売却利益で損失を補填してきた。不動産ご三家の、頭文字にMの付く企業は、私達のような中小企業では得られない、この手の不動産情報を優先的及至政治的なコネで入手し、確定的利益をものにしてきたと想われる。今もこうした連繋は続いている。政商的と云う所似である。

これらの関係者は何かを考え、表明すべきと考える。埋め立てによって海底から住宅地に生まれ変わった浦安地区は、またたく間に地価高騰地区として全国に名の知れた高級住宅地に変貌した。自然の宝庫である海辺を必要以上の人間の営みのために浚渫技術を駆使して造った結果が、今日の状況を迎えてしまったことが原因である。考え直さなければならない、技術テンコ盛り、効率一辺倒の人為は絶対に自然の偉大さに勝てないことを思い知るべき事態である。資源のないのに、ガラスとアルミで作られた巨大な空港施設、比較的背の低い日本人には似つかわしくない、北欧ヘルシンキの木で造られ、何十年もその伝統的空間を維持している、人間サイズの空港にこそ、自然への畏敬に満ちた建築様式のプロトタイプがあると見るべきである。

もともと東電は下請をアゴで使い、お上や大口客には種々の接待攻勢で有名である。あるジャーナリストが六ヶ所村を視察した時、ご本人は真面目な気持ちで1泊2日の視察に向かったのだが、廃棄場視察は二の次で、近くの東電関係施設と覚しき温泉宿で、上げ膳据え膳の饗応づくめだったという。また私自身の仕事と関係するのだが、日本の美しき風景を台無しにしている電柱においても諸インフラを包括した共同溝設置が叫ばれ、造成の度に陳情するのだが何故か電柱配電にこだわっている。そんなこともなかろうが、東電という巨大独占組織はその傘下に関電工、同窓電機、天下り官僚を含め、たくさんの傘下組織と従業員を維持するため古き電柱による配電組織が不可欠だと云う人もいる。


復興対策は国民総出で、新しい国家創造をめざす覚悟が必要

 

未だ、今回の大地震で行方不明になられた人々の数は明らかではない。多分、この大地震によって引き起こされた10数メートルに及ぶ大津波によって天に召されてしまっているように思える。地震発生から大津波の襲来までのたった30分足らずの間に、多くの人々が驚愕し、またたく間に恐ろしい自然の魔手に捉えられ、命を落された。想像だにしたくない。しかし今回の被災者の、聞かれたであろう大津波の豪音は、生きのびた私達に多くの文明生活への警鐘をとどろかせた。全国民が我が事としてこの大惨渦を共通の負託としてうけとめ、対応している。この対応ぶりの見事さは、欧米のマスメディアからも賞賛されている。誇りに思うことである。

これまでのあてがわれた戦後の政治システム、大企業偏重の経済社会システムから、産業界の大半を占める中小零細企業の中にも、名もなく自主自営し善行を重ねているリーダーがいることにもスポットをあて、今回の大災害を新しい形の国づくりの原動力にしなければならない。そうでなければ先の豪音は悲しく虚しい死者からのメッセージに終わってしまうだろう。日本の精神文化を支えた観音の思想は、この真実の声、音に耳を傾け、この音にこそ私達の生きる道すじがあることをしるべきではないか。


被災地外の公務員・首長が取り組むべきこと


 先の名古屋市議会解散、市長選挙で示された、減税・議員定数削減への民意は、多くの自治体の今後の方向づけを示した。私の住む市でも、市長のなり手がいず、無風選挙によって再選された市長が、殆ど物を云わず、高額報酬が支払われている議員によって、議論のない市議会が運営されている。この下で、平均給与八百万円近い職員が千人近くも働いている。被災に遭われた被災地の公務員のことを想うと、若手の公務員の中から一割位いを募って徒手空拳に陥らずサポートに派遣するような案は、でないものだろうかと考える。地域が地域の垣根を超えて、新たな国づくりのための、地域の公務を見直す好機にしなければならない。国レベルの改革のための協議が偉い人々によって何便されても、国はよくならない。実行できるかどうかは地域に住む市民1人1人の意思、自覚とその手にかかっているからである。良く云われる「日本は平和ボケしている」という言葉が今回程、胸に響いたことはない。学徒出陣ではないが平和的、教育的な意味あいにおいて、大学生や就職先のない卒業生を、一定の期間、身よりのない被災者や介護を必要としている被災地の高齢者家庭に派遣し、生命の尊さや助けあうことの意味を体験してもらい、就職先への新しい評価制度を作ることも必要かも知れない。市民の一人として、4月3日から主宰するテンダー会議の有志達と一緒に、ささやかではあるが、できるかぎりの物資をトラックに積みこみ、現地への炊き出しに出かける。願わくば、そこで被災者の方々と連帯を深め、復興への勇気を共有したい。再構築への、大切な手がかり“何か”が確信できるはずである。


大企業に牛耳られる悪のメディアから、視聴者本意のメディアに


連日、特別番組として、どのチャンネルを回しても、共通のニュースソースを使い乍ら、何回も放映される被災現場、見ているだけで、他の仕事が手につかなくなる。急に出てきたA.Cという大企業に操られた広告協会の、くどい道徳映像、やらせとしか言いようがない。本来こうした被災に際しての報道は、現地の事実情報を、キャスターを派遣し生のニュースとしてまず、国民に真実を伝えることが第1使命である。そして国民自身が判断や決断をし易くすることが大切だ。平常時と変らない、大学教授や評論家・タレントがこの事実を観て感想を述べることなどは、余りやるべきではない。特に深夜の安息時間のみだりな報道は、国民の不安をかき立てる。電力についてもテレビも例外ではなく、時間帯を規制してもいい。むしろ特別番組は、原発に対する各国の政策のちがいや、世論、過去の大災害の時に知恵のある対応をした、歴史的事実。更に、復興のために必要な現地の情報を踏まえた、構想や具体策の提案等にスポットライトをあてるべきである。

戦後、CIAからコードネーム、ポダムという名前を与えられ、戦犯釈放と引きかえに、10億円の元手を与えられ、読売新聞を設立した正力松太郎は、その後の大手主導、即米国主導のメディア行政を牛耳ったばかりでなく、原発事業にまで手腕を発揮したといわれる。詳細は植草一秀氏の「日本の独立」に書かれている。

そのⅡへつづく


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