2011年9月22日木曜日

大震災後の円高の意味


大震災後の円高の意味

 大震災後の円高、円高なのに輸入品の象徴であるガソリン価格の高騰、輸入品価格も円高の御利益がない。米国に行き、円高の恩恵があるかと想い、ちょっとした高額品を見てみると、国内価格とさして変わらない価格水準、何かが可笑しい。為替とは何なのか。

 七十数日の備蓄があるはずの原油も、何のための備蓄なのか良く分からない。為替変動に対する柔軟性や需給バランスを調整するためにあるはずなのに、原油供給大手企業は、空前の利益を出している。これらの企業は、東電同様、国策という名の基に、省庁の意向と深く関っている。天下りの受け入れ先でもある。本来、円高は、輸入に頼っている企業や、輸入品価格、海外投資をはじめいろいろな面でのメリットがあるはずなのに、活かされていない。一体、円高とは、何なのか。国際化・グローバル化とは誰のためのものなのか、その弊害が円高にでていると思わざるを得ない。

 思い返せば、85年のプラザ合意、90年代の米国による日本金融経済の総量抑制、近年のサブプライムローン問題、リーマンショックと、米国発の経済変動の度に、日本は大被害をこうむり、発生国の米国は、これをテコに、早期に立ち直るという図式を示して来た。米国社会が、日本に国債を買わせて、借金を重ね、ぜいたくな暮らしを続けている限り、円高は終わらないのか。円高は、米国に国債を償還する覚悟がないことを意味し、小手先の為替相場の操作と原油価格の主導権をとり続けることで、実質的な経済覇権を維持してゆくつもりなのか。日本にとって戦後は一体何だったのかを自らに問い、米国との同盟的恩恵は是としつつも、自主・自立への道を歩む峠(クライシス)に差しかかっている。

統合の矛盾

 グローバル化やEUの統合、金融や経済面における協調的行動が、世界の経済活動や平和を促進するはずなのに、近年、世界各地で頻発している不穏な現象は、何なのか。いろいろな現象が、こうした統合への動きの本質やクライシスを現しているような気がする。欧州連合の財政危機、イギリス国内の故なき暴動の頻発、リビア・タイ等の政変、ロシアの減退、ウクライナにおける不可解なリーダーの失脚、病変、中国辺境における体制強要に対する反抗、アフリカ諸国の飢餓等々枚挙にいとまがない。何のための統合や基準作り、平和規定なのか、成果が見出しにくい。

 一つの理由として、グローバル化や国際的基準づくりは、あくまで個々の国の歴史や、人々の暮らし方を重視する、グローカルイズム(地域の特性を基礎として、協調を目指すこと)によって成さなさなければならない。単なる効率化や統合は、金融や人々の往来の自由を促進するためのものであっても、個々の幸福やささやかな日常を脅かすものであってはならない。先の世界各地で頻発する不穏な動きは、こうした個々の事情を無視した体制づくりに無理があることを知るべきである。

ギリシア財政危機の意味

 こうした点で、好個の事例を8月の休暇で訪れたギリシアで垣間見てきた。ご存知の通り、ギリシアはEU統合の中で、かつてない財政危機に見舞われ、デフォルト(債務不履行)しかねない情況にある。首都アテネは、紀元前に、民主的都市国家を実現した理想国家の首都である。国家創立以来、民主国家としての評価を保ち、その精神は今も健在である。先にはオリンピック発祥の地としてオリンピックが開催され、オリンピックスタヂアムも今回見てきた。しかしアテネ市内には、このスタヂアムをはじめ、殆ど10階以上の建物は無く、インフラに至っては、財政危機を象徴するかの如く、極めて貧弱な設備、基盤しかなかった。小生がこれまで見てきた欧州諸国のどの国よりも、そのインフラは歴然と、劣っていた。明らかにどの建物も五十年以上は経っていると思われるものばかりで、その中心街でさえ、老朽化したマンションが無人化し、点在していた。ギリシアはご存知のとおり、日本と同様地震国である。この意味で10階建以上の建物が殆どないというのは肯けた。有史前に市民社会を確立し、理想の都市国家を実現した国なのに、現代において、何故こうも、都市計画や整備が脆弱なのか、不思議だった。その国の財政情況は、その国民が、何を理想とし、貯蓄を投資しているかによって良く分る。少なくともアテネ市内において、アクロポリスをはじめとする歴史的な遺跡は、重要な観光資源として整備されていたし、今もなお息の長い遺跡整備が続けられていた。この点でインフラの脆弱さとは裏腹に、遺跡や文化遺産の保持は、見事なまでに、充実していた。そして、四日間のアテネ滞在の最中に、アテネ市民の生き方や都市に対する精神的姿勢を垣間見ることになった。

大切な普遍的日常生活

 二日目の日中、国会議事堂の周辺が、折からの国家公務員の大巾賃下げに対するデモのため約三キロ四方の中心街が閉鎖された。閉鎖されていることをタクシーに乗ってはじめて知った。日本のタクシー料金の1/3で、観光客の足としてはとても便利だったが、この日ばかりは通常の5倍位いの料金をふっかけられた。遠回りしたせいもあったが、お蔭でアテネ市内の輪かくを辿ることもできた。最新の機関銃をもった兵士が、五十人位いの単位で、この輪かくの要所要所に身構えていた。かつて日本に戒厳令のしかれた情況も、こんなものなのかと、想像が頭をかすめた。驚いたのは、その夜の中心街の景色だった。日中の戒厳令のような情況が嘘のようだった。多分、身構えていた兵士も、デモ隊の市民も、呉越同舟、夕方にはバリケードが解かれ、中心街のありとあらゆるレストランやバーで深夜まで歓声が飛びかい、談笑する光景が見られた。訪れた日本レストラン、これ又、料金が日本の1/3、ギリシアだけは円高の恩恵を実感した。ローソクが灯り、ユトリロの描いたモンマルトルのにぎわいのような、温かな人間交流の場があちこちで湧き上がっていた。アテネ市民が古代から大切にしてきた、ささやかではあるが、生きることを謳歌する日常があった。背景になっている遺跡も老朽化した建物も影絵のように美しく、この市民が、こよなく愛してきた伝統空間として、何の違和感もなかった。

 小生のギリシア財政危機に対する解釈は、こうだった。欧州連合によって、ギリシア経済に、一時的に統合の恩恵をもたらしたが、経済、とりわけおカネに執着しないギリシア市民は、政府の財政的ムダ使いに気付かず、日常生活を謳歌していた。勿論、欧州連合加盟によって潤った余剰をインフラに回す等という考えは毛頭抱かなかった。先のデモのように民主を維持する精神も健在で、結果として、“カネ”を至上とする経済連合には、ついてゆけないギリシア特有の財政感覚が、今日の危機を招いたのではないか。今も尚、ギリシア市民は、本当に、この情況を危機と思っているのだろうかうたがわしい。そして三千年に及び存在してきたこの国の市民の日常は変わらない。この点で日常生活を変えてまで、経済至上主義に走った、日本の財政危機は、深刻である。